【ネタバレあり】ちいかわ映画を真面目に語る!

皆さま、こんにちは!ママオアシスのアキラです。
皆さまは、こちらのキャラクターをご存じでしょうか?

街を歩けばあちらこちらにゴロゴロ、モチモチしているこのキャラクター。
その名は「ちいかわ」。
「なんかちいさくてかわいいやつ」を縮めて「ちいかわ」です。
タイトルも『ちいかわ』、主人公の呼び名も「ちいかわ」。
イラストレーター・ナガノさんの手によりSNS上で始まったこちらの物語は、おびただしい数のグッズが制作され、テレビアニメも放送され、今年2026年には映画まで上映されるほどの人気を誇っています。
『ちいかわ』とは一体何なのか??
この記事の前半では、『ちいかわ』の面白いところと映画のあらすじをご紹介し、後半に感想を書き連ねていきます。
最後までお読みいただけますと幸いです♪
『ちいかわ』のどこが面白いの?
プロレタリア文学の趣、常に存在する恐怖
この作品の面白い点を挙げればキリがないですが、よく言われるのはこういったものでしょうか。
「かわいい見た目からは予想できない、ダークな世界観が面白い」
ちいかわとその友人のハチワレ、うさぎ、そしてその他の「ちいかわ族」たちは、日雇いの仕事をして賃金を得ています。

▲左から、ハチワレ、ちいかわ、うさぎ
その仕事内容は様々で、草むしりや、レモンにシールを貼る仕事、そしてなんと、巨大なモンスターを倒す討伐の仕事まであります。
根気のいる仕事や危険な仕事をしても、受け取れる賃金は微々たるもの。昇給のためには勉強して資格を取る必要があります。
こうした、労働者の人生を残酷に描写していることが『ちいかわ』の魅力の一つである、と多くの方が考えていますし、私もそう思います。
また、討伐する側であるちいかわ族たちが、討伐される側であるモンスターに突然変身してしまうという設定もあり、平和でかわいらしく見える日常の中に、常に恐怖が横たわっているのを感じることができます。
こうした暗い面を持つ要素が、ちいかわたちの友情物語のそばでうごめいているのが、この作品の興味深いところです。

作者・ナガノさんの詩的感性
これに対して、筆者が最も重視する『ちいかわ』の長所は、作者・ナガノさんが「漫画の上手な詩人である」ということです。
『ちいかわ』は基本的に1ページ漫画です。狭い紙の中に、無駄なく登場人物や台詞を配置しなければなりません。
ナガノさんはそれが天才的に上手い。
また、小さな吹き出しの中に、省略された簡潔な詩のような台詞を綺麗にはめ込んでいます。本当に芸術的です。
この芸術性の高さから、私は常々ナガノさんを詩人と捉えています。
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』
2023年の終わり頃から2024年初頭にかけて『ちいかわ』の大ファンになった私にとって、映画化は跳び上がって喜ぶほどの出来事でした。
映画の出来も素晴らしいものでした。
絵柄、動きのお芝居、声のお芝居、背景、そして音楽。
その他にもたくさんのものが一体となった総合芸術がそこにありました。
そんな中でも忘れてはならないのがダークファンタジー。
映画の中で描かれる物語にも、薄暗い空気が漂っています。
【ネタバレ注意!】映画内の物語を時系列順にみてみよう
あるところに、島がありました。
それは、ある日突然やって来たセイレーンという巨大な生物とその仲間である人魚に食べ物を貢ぐことで発展した面のある島でした。
ある日、ヒトハとフタバという二人の島民が仲良く釣りをしていると、近くに人魚と戯れるセイレーンが見えました。
ヒトハはセイレーンを怖がりますが、フタバは「セイレーンのおかげで作物がよく実るのだ」と、楽観的に捉えています。
セイレーンに向かって「オ~イ」と呼びかけるフタバ。
しかしその時、セイレーンの巨体が二人の乗っている小舟にぶつかり、フタバは瀕死の重傷を負ってしまいました。
セイレーンはそのことにあまり気づいておらず、何かにぶつかったかな?、と一瞬考えますが、すぐに忘れて人魚との遊びに戻っていきました。
嘆き悲しむヒトハは、セイレーンと人魚への怒りをあらわにすると同時に、ある伝説を思い出します。

▲左から、ヒトハとフタバ
「人魚を食べると永遠の命が手に入る」
そして、人魚を煮付けにして瀕死のフタバに食べさせてしまうのです。
復活したフタバは状況を理解し、狼狽します。
「自分だけが永遠に生き、ひとりぼっちになってしまう」と恐れたフタバは、ヒトハにも煮付けを食べるよう求めます。
少し嫌がりながらも最終的には煮付けを口にしたヒトハ。二人の間に誰にも言えない秘密が生まれた瞬間でした。

▲犯行に使われたお菓子
そこから、セイレーンの怒りが猛威を振るいます。
犯人が名乗り出てくるまで、島民を食べ続けるセイレーン。ただただ怯える何も知らない他の島民たち。罪を隠し続けるヒトハとフタバ。
島の外にも助けを求めようとチラシを撒き、それに釣られてやってきた人たちの中に、ちいかわ、ハチワレ、うさぎがいました。
彼らは島とセイレーンの板挟みになりながらも、解決に向けて必死で動きます。
映画では彼らの戦いの模様が壮大に描かれていますが、この記事はそこには注目しません。
戦いの途中、ちいかわはあることを確信します。
フタバが人魚を食べたということを。
島民との宴の夜、ちいかわはヒトハとフタバに対面し、人魚について問いただそうか逡巡します。
結局、ギュッと手を握り合う2人を見たちいかわは、罪を指摘しませんでした。
その後、戦いの途中で自分たちの罪がセイレーンにバレたことに気づいていたヒトハとフタバは、二人だけで島を出て、別の住処を探すことにします。
しかし、その背後にセイレーンが忍び寄り、そこで映画は終わりとなりました。
以上が映画のあらすじを時系列順に並べたものです。
以降は、筆者の感想を述べていきます!
自覚なき強者性と外見至上主義
映画を観た方で、こう思った方は少なくないと思います。
「セイレーンがかわいい!」
「セイレーンは悪い人じゃないと思う」
セイレーンを「かわいい」と思う気持ちはよく分かります。丸っこいフォルムに楕円形の目、下がり眉。
さらに、喋り方や動きはなんとなくキャピキャピしていて、好奇心旺盛で無邪気な子どものようです。

▲後ろの大きな白・黒・赤の生き物がセイレーン
しかし、この子どものような無邪気さこそが、セイレーンの持つ悪役性を表していると筆者は思いました。
大きくて強いセイレーンは、いわば特権階級にいる存在です。
特権を持っていると、他の人よりも苦しまず、考えずに生きていけるわけですので、セイレーンは完全にこれに当てはまります。
例えば、人魚と遊んでいる時に小さな生き物にぶつかって瀕死の重傷を負わせても、それに気がつかない。
島民たちが恐れからセイレーンに貢物をしていても、無邪気に喜ぶ。島民の感情に配慮するということがない。
これは、セイレーンが、特権階級にいながら自身の強者性を自覚していないことを示していると考えられます。
そしてこの無自覚性が、セイレーンのあの無邪気な態度にあらわれており、それこそが最も恐ろしく、強者と弱者の上下関係を表すものだと考えられるのです。
その他にも、「かわいい」と思う感情には、そのものの捉え方を捻じ曲げる効果があると考えます。
セイレーンは何人もの島民を食べた連続殺人犯です。にもかかわらず「悪くない」と考える人もいる。
これには、「『かわいい』と感じる」という要素が絡んでいるのではないかと、筆者は疑っています。

▲ウラヤハボウズ。映画とは関係がない。
原始的な見方~セイレーンは神?~
また、このような意見もあります。
「セイレーンは神のようなものである」
たしかに、突然やって来て強大な力を発揮し人々を圧倒するものというのは、神的な存在であるとも感じられます。
この観点から言うと、ヒトハとフタバはセイレーンに近づきすぎたと見ることができる、と私は考えます。
釣りをしていた時、セイレーンの姿が見えた時点で引き返すべきだった。
「オーイ」などと呼びかけて気を引いたりしてはならなかった。
触らぬ神に祟りなし、なのだから。
しかし、この見方は「原始的な見方」であるとも思います。
もっと別の角度から見ることもできるのではないか、と鑑賞後しばらく経ってから考えるようになりました。

現代的な見方〜社会システムが未成熟なちいかわ世界~
筆者がより注目したいのは、この世界に医療や司法が存在せず、それが殺害や私刑を引き起こしているということです。
わざとではないがフタバに重傷を与えたセイレーン。殺意を持って人魚を殺したヒトハと、その報復に島民たちを食べ続けたセイレーン。
医療がまともに機能していれば、フタバが瀕死になった時点でヒトハは病院に駆け込んでいたはずで、人魚を殺して食べさせる必要などなかったのです。
司法システムが整備されていれば、ヒトハによる人魚殺害は捜査されていたでしょうし、セイレーンは早々に訴えられて島民に手出しできなくなっていたはずです。
このように、社会の仕組みが成立していないことによって、体が大きく力も強い強者であるセイレーンが圧倒的に有利になる状況が生み出されているのです。
強者は自分の好きなように振る舞うことができる。対して弱者は、強者の支配の中でしか生きられない。
不均衡な状態ですね。
「現代的」にみれば、以上のようになると思います。
おわりに
以上、ちいかわ映画を真面目に語りました!
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
記事の中でお話したようなことを考えなくとも、映像や音楽の美しさ、登場人物たちの鮮やかな動きなど、楽しめる点の多い映画です。
今も上映している映画館があります(2026年11月2日)ので、まだご覧になっていない方はぜひ行ってみてほしいですし、既にご覧になった方はもう一度行ってください!
それでは、また。
